最終更新日:2017年1月 4日 作成日:2008年11月15日 | コメント(0)

江戸総鎮守 神田明神(神田神社)(東京都千代田区)

初詣シーズンの神田明神

2017年1月4日撮影

2017年1月4日撮影

2017年1月4日撮影

神田明神は商売の神で有名なため初詣シーズンで約30万人の方が参拝するため非常に混雑します。
1月1日~3日の間は1時間以上並ぶことになり、仕事始めの日も混み合います。
ただ、仕事始めの日の夜は並ぶ時間も短く、意外と早く参拝することができます。

神田明神とは

神田明神(かんだみょうじん)は、東京都千代田区外神田二丁目にある神社。
正式名称「神田神社」。
神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神。
旧社格は府社(1870年まで准勅祭社)。
現在は神社本庁の別表神社となっている。
また旧准勅祭社の東京十社の一社である。

初詣シーズンの神田明神(2009年)

2009年1月5日(月)の仕事初めの日は、朝の9時くらいからたくさんの人でにぎわっていました。
夕方、通った時も人の量は減ることがなく、にぎわっていました。
2009年1月6日(火)の9時くらいは、前日の半分くらいの人になっていました。
2009年1月7日(水)の9時くらいは、すごく人が減っていました。

神田神社のWebサイトはこちらになります。
http://www.kandamyoujin.or.jp/

江戸総鎮守 神田神社の門(東京都千代田区)

2008年10月23日撮影

江戸総鎮守 神田神社に到着。
電車を使う人は、ここの門に到着します。
奥に見えるのが、隨神門です。

神田明神で阿波踊り

2016年11月28日撮影

2016年11月28日撮影

2016年11月28日神田明神にお参りにいったら、阿波踊りが行われていました。
海外からの訪問客がいたようでおもてなしをしていたのだと思います。
神田明神前での阿波踊りはすごくかっこよかったです。

隨神門

隨神門
昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念として建立。関東大震災で焼失して以来約50年ぶりの再建。
総檜・入母屋造。二層建て・屋根は銅板瓦棒葺。各所に配した文様は伝統的なテーマをもとにしつつ、オリジナルなデザインを使用。外回りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)、内側には「因幡の白兎」といった大貴己命の神話をモチーフにした彫刻が飾られている。また二層目に「繋馬」の彫刻が飾られているが、この繋馬は平将門公の家紋に由来。
その後、平成10年に『平成の御造替事業』により鮮やかに塗替えられました。(神田神社より引用)

華やかで日光東照宮を思い出しました。
見とれてしまいました。

江戸国学発祥の地

江戸国学発祥の地
隨神門の横で見つけました。
江戸国学発祥の地ってきっとすごいことなんだろう。

だいこく様尊像

だいこく様尊像
昭和51年完成。高さ6,6メートル重さ約30トンで石造りとしては日本一のだいこく像として建立された。(神田神社より引用)

思った以上に大きいだいこく様です。
石ってところが凄いところなんでしょうね。

えびす様尊像

えびす様尊像
神田明神境内に新たに建立された鳳凰殿のとなりに、当社二の宮のご祭神『えびす様』のご尊像が建立されました。えびす様は正式のお名前を少彦名命(すくなひこなのみこと)と申しあげ、神話に木の実を舟にして海の彼方にある常世から来訪された小さな神様と伝えられています。また『だいこく様』と力を合わせ日本の国作りを行われ、病人に医薬の道を教え、酒造りなど豊かな知恵を人々に授けられた福の神でもあります。
今回建立されたご尊像は、海の仲間(イルカやタイやトビウオ)に守られて大海原を渡られる『えびす様』のお姿が造形されています。
東京芸術大学学長・宮田亮平教授によって、鍛金工芸の優れた技術で美しく完成いたしました。

神田明神の二の宮・少彦名命 制作にあたって
東京藝術大学学長 宮田亮平

少彦名命「えびす様」のお話をいただきました時、大変うれしくもあり、又、どの様に表現すればよいのか、考えあぐねてしまいました。皆様がどなたもご存じの七福神の中のえびす様は、商売繁昌の神様として有名であり、大きな体に烏帽子をかぶり、釣り竿、そして立派な鯛を小脇に抱えているお姿です。そのイメージの作品ならば多くの場所にあります。折角作るのなら、何か違った神田明神以外どこにも無いものであって、しかも心安らぐ老若男女の多くの方々から愛されるえびす様を制作したいと考えました。神田明神にまいり大鳥居宮司様よりお話しをお伺いいたしておりました所、なんとえびす様は、海のかなたから、小さな木の実の殻の舟に乗って来臨され、小さいお姿ながら大きなだいこく様(一の宮大己貴命)と力を合わせ、この日本という国をお作りになったため「国土開発・事業繁栄」として仰がれ、又、医薬を全国各地に広めたところから「病気平癒・健康増進」の神様であるとのお話でした。私の日頃からのコンセプトである『海』とぴったり合ったお話しでしたので、心が騒ぎました。現在一の宮として皆様に慕われている大きなだいこく様の横で、一緒に国づくりをする為においで下さったえびす様という空間を演出することを心がけました。その様なお姿が、御参拝の皆様の心癒される場になっていただければと念じながら、制作いたしました。 (神田神社より引用)

えびす様は波の真ん中にいます。
最初えびす様が見つからず、どこにいるのか探してしまいました。

御社殿(国登録有形文化財)

御社殿(国登録有形文化財)
昭和9年に竣功。権現造。当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿。本殿・幣殿・拝殿さらに神饌所・宝庫が重なり合うように造られており、昭和初期の神社建築では新しい形式をもつ。

伊東忠太・大江新太郎・佐藤功一といった近代神社建築・都市建築を代表する建築家により設計された。小屋組を鉄骨にして荷重を軽減し、柱間を少し狭めるなどして木造建築の姿に近づけ、鉄骨鉄筋コンクリート造ということを感じさせない工夫が施されている。

拝殿の手前を土間にし、その先を畳敷きの床にすることによって、参拝者が靴を履いたまま立って拝礼できるとともに、神職が床において祭式を行うこともできるという、現代社会に対応した構造が、昭和初期の段階で採り入れられている。 昭和20年の東京大空襲にも耐え抜いた。

平成元年に、参拝者の増加に伴い、本殿右脇にエアコン完備の「奥御殿」を造営。さらに、平成の御造替事業(平成6年~11年)により、全面的に塗替・修復が行われ美しくよみがえった。

江戸開府四〇〇年記念の年・平成15年9月、国登録有形文化財に登録。

ちなみに、現社殿の前は、天明2年に江戸幕府によって造営された。木造で権現造・総朱漆塗。江戸時代後期の神社建築を代表する社殿であったと言われている。社殿内には江戸幕府造営を象徴する徳川将軍家の葵の御紋が見える。(神田神社より引用)

昭和20年の東京大空襲にも耐え抜いたってところが、この神社の効力を表しているところなんだろうか。
長い歴史がある建物はいつ見てもいいものです。

狛犬

狛犬
口をあけた勇ましい狛犬

獅子山 <千代田区指定有形民俗文化財>

獅子山 <千代田区指定有形民俗文化財>
武州下野の名工石切藤兵衛(別名・油売藤兵衛)が生涯でわずか3つしか造らなかったものの中の1つと伝えられ、3つの獅子は「坂東三獅子」として有名であった。

享保年間(1716~1735)につくられたと言われる。関東大震災により損傷し子獅子が紛失したが平成2年に子獅子を新調して再建された。

能の出し物『石橋(しゃっきょう)』にちなみ、親獅子が子獅子を谷底に突き落とし、はいあがってきた子をはじめて我が子とするという内容を造形化したもの。今日では、かわいい我が子に厳しい試練を与えるたとえとして知られている。平成3年4月1日、夫婦の石獅子2頭が文化財に指定された。(神田神社より引用)

見ると何だろうって思いますが、説明文を読むと、すごい作品だったってのに気づかされました。
次行くときは、もっとじっくり見ようと思います。

籠祖神社

籠祖神社
ご祭神 - 猿田彦大神、塩土翁神、天孫瓊瓊杵尊

降臨の際、日向高千穂へ先導役を務めた猿田彦大神と、塩の神として崇められた塩土翁神が合祀されている。寛政7年に鎮座された古い社で籠造り職人の守護神として崇められている。
祭礼日 - 11月5日

籠祖講関係石造物群 <千代田区指定有形民俗文化財>

末社・籠祖神社境内にある石造群9点。亀井町を中心とする籠職人・葛籠職人の人々により結成された籠祖講の石造物群で、鳥居・水盤・記念碑・狛犬・常夜燈・玉垣・石標など嘉永3年(1850)から昭和38年にかけて奉納された。籠祖講は現在も信仰活動が続けられており、毎年11月5日に例祭が執り行われている。平成17年4月1日、文化財に指定。(神田神社より引用)

末廣稲荷神社

末廣稲荷神社
ご祭神 - 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

宇迦之御魂神、級長戸辺之命、級長津彦之命を祀っていた旧社で元和2年の頃の社で極めて古く、昔から庶民信仰が強かった。現社殿は昭和41年に再建された。
祭礼日 - 3月午の日(神田神社より引用)

三宿・金刀比羅神社

三宿・金刀比羅神社
三宿神社ご祭神 - 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

江戸時代より神田三河町二丁目の守護神として奉斎されていた。当社12代神主芝崎美作守の邸内に祀られていた内山稲荷と合祀され当社の末社として奉斎された。
祭礼日 - 10月初旬(神田神社より引用)

水盤<千代田区指定有形民俗文化財>

水盤<千代田区指定有形民俗文化財>
文化2年(1805)2月、伊勢屋治兵衛により奉納された。その後、安政3年(1856)に神田・日本橋・京橋・下谷・本郷界隈に居住の炭薪(たんしん)問屋・同仲買・人宿・飛脚問屋など45名により再奉納された。現在、金刀比羅神社・三宿稲荷神社境内に安置されている。材質は石、寸法は高さ61cm、横幅136cm、奥行59.5cm。平成14年4月1日、文化財に指定。(神田神社より引用)

浦安稲荷神社

浦安稲荷神社
ご祭神 - 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

元は江戸平川の河口に近い所(現内神田鎌倉町附近)に祀られていたもので、天保14年に遷座された。
祭礼日 - 3月午の日(神田神社より引用)

江戸神社

江戸神社
ご祭神 - 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)

大宝2年(702)江戸の地=現在の皇居内=に創建された江戸最古の地主神。現社殿は平成元年、神田市場の移転により、大神輿を御神座として再興された。江戸の三天王・一の宮
祭礼日 - 5月14日(神田神社より引用)

大伝馬町八雲神社

大伝馬町八雲神社
ご祭神 - 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)

江戸時代以前より祀られていたと伝えられる古社である。江戸の三天王・二の宮
祭礼日 - 6月5日。

大伝馬町八雲神社鉄製天水桶 
<千代田区指定有形民俗文化財>

天保10年(1839)6月、神田明神遷座以前からの由緒を持つといわれる地主神祇園牛頭天王社一の宮であった当社の氏子たちにより奉納。当社は、江戸時代初期以来大伝馬町が祭礼などを執行したが、次第に太物問屋仲間たちによる執行へと移行していく。天水桶は大伝馬町の銘を持つものの、太物問屋中により奉納されている。作成者は釜屋六右衛門こと太田近江大掾藤原正次(通称、釜六)、材質は鉄、寸法は高さ76.7cm、口縁部の周囲287.3cm、口縁部の内径82.5cm。平成16年4月1日、文化財に指定。 (神田神社より引用)

小舟町八雲神社

小舟町八雲神社
ご祭神 - 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)

現在地へ移転された神田神社と共に、江戸城内吹上御苑にあったものを同時期現在地に遷座された。
祭礼日 - 6月6日。

小舟町八雲神社鉄製天水桶 
<千代田区指定有形民俗文化財>

文化8年(1811)6月、神田明神遷座以前からの由緒を持つといわれる地主神祇園牛頭天王社の三の宮である当社を崇敬していた江戸の魚問屋仲間に属する商人や遠州屋新兵衛ほか10名により奉納。江戸時代以来の小舟町と魚問屋仲間の神社信仰を知る上で貴重な資料である。作成者は釜屋六右衛門こと太田近江大掾藤原正次(通称、釜六)。ちなみに左側の天水桶は、安政4年(1857)に再建されたもの。平成17年4月1日、文化財に指定。 (神田神社より引用)

水神社(魚河岸水神社)

水神社(魚河岸水神社)
ご祭神 - 弥都波能売命(みつはのめのみこと)

日本橋の地を発祥とする現在の築地魚河岸会の人々の守護神として篤いご信仰を集めている。
祭礼日 - 5月5日。(神田神社より引用)

小唄塚・小唄作詞塚

小唄塚・小唄作詞塚
昭和の小唄作曲に大きな功績を残した吉田草紙庵を顕彰するために、江戸総鎮守である当神社の境内に昭和31年に有志により建立された。(神田神社より引用)

2009年4月3日に桜を見に立ち寄りました。
神田明神の中に桜を見かけたポイントは少なく、綺麗な箇所を写真に収めました。

神田明神の桜

神田明神の桜

神田明神の桜

江戸総鎮守 神田神社の地図


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(神田神社より引用)

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