最終更新日:2016年3月21日 作成日:2016年3月21日 | コメント(0)

南坂(みなみざか)熊本城にいく途中にある坂(熊本県熊本市中央区)

南坂まで到着すると、道にも変化があり、もうじき熊本城という気分になりました。

この坂は江戸時代は南坂と呼ばれ、飯田丸(いいだまる)下の備前堀(びぜんぼり)中ほどから南大手門へ向かう比較的急な坂で、山崎(やまさき)や高田原(こうだばる)等の城下町に住む藩士の登城路であった。
この石垣の上の曲輪(くるわ)[城の周りに築いた堀、石垣、塀などで構成する区画]は細川氏入国(1632年)後、奉行所が置かれたことから奉行丸(ぶぎょうまる)と呼ばれている。奉行所は御奉行所(おんぶぎょうしょ)、御勘定方(おんかんじょうがた)、小物成(こものなり)、御郡代(おんぐんだい)の四部門からなり、多くの藩士が公務を行っていた。
奉行丸に熊本城復元整備計画の一環として、平成15年までに「未申櫓(ひつじさるやぐら)」「元太鼓櫓(もとたいこやぐら)」と付属の塀を復元した。また、かつて「井樋方櫓(いびかたやぐら)」「御客方櫓(おんきゃくかたやぐら)」があった場所は、遺構表示と木柵で表示している。
明治35年に明治天皇が行幸された折、現在の車道を整備し、行幸坂(みゆきざか)と呼ぶようになった。
熊本市

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20160312 南坂 - Spherical Image - RICOH THETA

南坂の場所

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