最終更新日:2016年3月21日 作成日:2016年3月21日 | コメント(0)

神風連首領 太田黒伴雄奮戦之跡(熊本県熊本市中央区)

熊本城周辺では、太田黒伴雄奮戦之跡が何個もあるらしい。
私は熊本城に向かうところ1ヶ所だけ見かけました。

そもそも神風連首領 太田黒伴雄奮戦之跡って何だろうとWikipediaで調べてみました。
1876年(明治9)に熊本市で起こった明治政府に対する士族反乱「神風連の乱」が起こりました。
旧肥後藩の士族太田黒伴雄(おおたぐろともお)、加屋霽堅(かやはるかた)、斎藤求三郎ら、約170名によって結成された「敬神党」により廃刀令に反対して起こされた反乱で、この敬神党は反対派から「神風連」と戯称されていたので、神風連の乱と呼ばれている。
この反乱は、秩禄処分や廃刀令により、明治政府への不満を暴発させた一部士族による反乱の嚆矢となる事件で、この事件に呼応して秋月の乱、萩の乱が発生し、翌年の西南戦争へとつながったそうです。
太田黒伴雄は、銃弾を受けて重傷を負い、法華坂で義弟の大野昇雄の介錯により果てたそうです。

他にも奮戦之跡があるそうなので、今度熊本城にいく機会があれば写真撮影できるかな。

神風連首領 太田黒伴雄奮戦之跡を全方位写真で見る

20160312 神風連首領 太田黒伴雄奮戦之跡 - Spherical Image - RICOH THETA

神風連首領 太田黒伴雄奮戦之跡の場所

この記事が参考になったらSNSにお願いします。

コメントする


Copyright ぞえぞえねっと All rights reserved