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2008年10月23日 00:05 | コメント(1)

観光:曹洞宗 金龍山大円寺 ほうろく地蔵、高島秋帆・斉藤緑雨の墓 (東京都文京区)

曹洞宗 金龍山大円寺には、複数の見所があります。
1."八百屋お七"にちなむ地蔵尊「ほうろく地蔵」
2.高島秋帆の墓(国指定史跡)
3.斉藤緑雨の墓
4.丹波屋の墓
5.延命地蔵
金龍山大円寺は、文京区向丘1-11-3にあります。
最寄り駅は都営三田線の白山駅で、少し歩くと到着します。
詳しい場所については、下記マップで確認してください。

曹洞宗 金龍山大円寺

曹洞宗 金龍山大円寺(東京都文京区)
曹洞宗 金龍山大円寺に到着しました。
門はこのような形で、奥に見えるのがほうろく地蔵です。

ほうろく地蔵

ほうろく地蔵 in 曹洞宗 金龍山大円寺(東京都文京区)
"八百屋お七"にちなむ地蔵尊。天和2年(1682)におきた天和の大火の後、恋仲になった寺小姓恋しさに放火の大罪を犯し、火あぶりの刑を受けた。"お七"を供養するために建立されたお地蔵様である。
寺の由来書によると、お七の罪業を救うために、熱した焙烙(素焼きのふちの浅い土鍋)を頭にかぶり、自ら焦熱の苦しみを受けたお地蔵様とされている。享保4年(1719)に、お七供養のために、渡辺九兵衛という人が寄進したといわれる。
その後、このお地蔵様は、頭痛・眼病・耳・鼻の病など首から上の病気を治す霊験あらたかなお地蔵様として有名になった。
お七が天和の大火の時に非難し、墓もある円乗寺はすぐ近くにある。(説明文を看板から引用)

ほうろく地蔵もステキですが、周りもステキでした。
定期的に、増えていくのか楽しみです。

曹洞宗 金龍山大円寺 ほうろく地蔵の左側

曹洞宗 金龍山大円寺の中の光景(東京都文京区)
ほうろく地蔵の左側は、このようになっています。
大円寺は見所いっぱいですが、ここも見所のひとつでしょう。

大円寺墓地

曹洞宗 金龍山大円寺墓地(東京都文京区)
ほうろく地蔵側ではなく、上記ほうろく地蔵の左側に行ったところから外にでると大円寺墓地につきます。
出て前に写真のような門があるのでわかると思います。

高島秋帆の墓(国指定史跡)

高島秋帆の墓(国指定史跡) in 曹洞宗 金龍山大円寺墓地(東京都文京区)
秋帆、1798~1866年(寛政10~慶応2)。長崎の人。諱は茂敦、通称四郎太夫。秋帆は号。幕末の砲術家。アヘン戦争で清国が敗れたことを知り幕府に洋式砲術の採用を建議し、1841年(天保12)武州徳丸原(板橋区高島平あたり)で洋式砲術演習を行った。
翌年、鳥居耀蔵のいわれなき訴えによって投獄され、のち追放に処さられた。ペリー来航とともに許されて、1857年(安政4)富士見御宝蔵番・兼講武所砲術師範役を命ざられた。(説明文を看板から引用)

一番奥にあり、どんどん進んでいくと到着しました。
立派な方は奥に墓を設置するのだろうか。

斉藤緑雨の墓

緑雨、1867~1904年(慶応3~明治37)。三重県の人。名は賢。別号を正直正太夫。明治時代の小説家で、戯作風の「油地獄」「かくれんぼ」などで文壇に名をなした。
かたわら種々の新聞に関係して文筆を振るう。終生妻子を持たず、俗塵に妥協することなく、文学一筋に生きた人である。森鴎外・岸田露伴とともに「めざまし草」の匿名文芸批評執筆者の一人で、樋口一葉の「たけくらべ」を絶賛した。墓碑銘は岸田露伴書(説明文を看板から引用)

斉藤緑雨の墓 in 曹洞宗 金龍山大円寺墓地(東京都文京区)
なかなか斉藤緑雨の墓を発見できなかったです。
延命地蔵、丹波屋の墓より手前の方にあるとわかっていても、くるくるまわってやっと発見しました。
いく場合は、少し迷うかもしれませんが、墓地自体が広いことないので大丈夫です。

延命地蔵

延命地蔵 in 曹洞宗 金龍山大円寺墓地(東京都文京区)
この墓地の中で一番わかりやすかったです。
延命地蔵の周辺に丹波屋の墓と斉藤緑雨の墓があるので、探すときはここを中心に移動したらいいです。
ちなみに、この奥にあるのが高島秋帆の墓です。

丹波屋の墓

丹波屋の墓 in 曹洞宗 金龍山大円寺墓地(東京都文京区)
延命地蔵の手前らへんに丹波屋の墓がありました。
看板があがってなく見逃すところでした。
墓地の前の看板に丹波屋と記載されていたのですが、何で有名なのかわからないです。
わかったら、再度修正して情報を掲載します。

金龍山大円寺の場所(マップ)


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コメント(1)

2010年2月13日 09:30

G35X さん

「天和2年(1682)におきた天和の大火の後、恋仲になった寺小姓恋しさに放火の大罪を犯し...」この八百屋お七の家がそもそも焼け出された大火は丸山火事と呼ばれ、この大円寺が火元であったとのこと。そうであれば八百屋お七供養のお地蔵さんが祭られたのも合点がいきます。 尚、近くの円乗寺にあるお七の墓には今もお線香とお花が絶えず、彼女を不憫に思う江戸っ子の心情が今でも続いています。また、お七を題材にした芝居をかける前には役者さんがお参りに来るとのことです。ただ、当時は刑死者の墓は作れなかったはずなので、墓とはいえ後で作った記念碑みたいなものでしょう。

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