?> 最終更新日: 更新日: 2025年9月 1日 作成日:2025年9月 1日
本宿水道改修記碑|払沢の滝途中にある石碑(東京都・檜原村)
2025年8月22日撮影
払沢の滝へ向かう遊歩道の途中に、「本宿水道改修記碑」が建っています。明治の火災をきっかけに払沢の水を引き、防火や洗い物、のちには飲み水として活用してきた経緯と、昭和31年の簡易水道完成までの歩みが刻まれています。
石碑には次のように刻まれています(旧仮名づかい・旧字体のまま/一部判読しづらい箇所あり)。
本水道の起りは、古く明治十七年十月五日の本宿火災の際
水不足の爲あたら大火の厄に遭ひ實に痛感し、依つて弗沢の水を
土堀て導き、年々人足を雇ひて補強し防火洗滌用水に充てたりしが、
明治三十二年土管コンクリート開溝併用にて大補修をなし、
飲用水にも充當し得て大正十四、五年にセメント施行をなし
猶年々補強の手を加へて本宿六十八世帶の飲料水、洗滌・防火
其他の用水を充して約七十年の歳月を重ねて來た。この間の一運營に
注いだ物心兩面の努力は極めて甚大であつた。
しかし時代の推移と住民の增加、更に防疫消毒の面に不完全なるを憂へ、
更に上元〔※〕及び小中學校、診療所を加へて檜原村簡易水道への議起り、
是が申請を村當局によつて行はれ、幸ひに採択せられ
國庫補助金百二十萬円、都補助金百二十萬円、地元負擔金二百四十萬円、
計金四百八十萬円の工事認定額を以て認可せらるる。
三十一年二月二十五日着工、同年八月十一日竣工を見るに至つた。
是に伴ふ附帶工事も加へて、總工費五百七十三萬円を
地元負擔金三百三十三萬円によつて完工した。
よつて同年六月一日本宿水道組合の解散を行ひ、
檜原村簡易水道本宿水道部として發足した。
因に、送水延長四百六十五米、配水道七百七十三米、
計千二百三十八米に達してゐる。現在之が給水は
八十六世帶九百三十六人に及んでゐる。
以て改修滿五週年を記念しこの碑を建つ。
〔※〕「上元」は地名(上元郷)のことと思われます。
内容を平易にまとめると、次のとおりです。
- 明治17年(1884)10月5日の本宿の火災で水不足により被害が拡大。そこで払沢(碑文では「弗沢」)の水を掘り導き、防火や洗い物の水として利用を開始。
- 明治32年(1899)に土管+コンクリート開渠の併用で大改修。大正14〜15年(1925〜26)にセメント施工もし、以後も補強を重ね、本宿68世帯の飲料・洗浄・防火に約70年にわたり供給。
- 人口増と衛生(消毒)の課題から、上元や小中学校・診療所も含めた村の簡易水道を計画。申請が採択され、国120万円・都120万円・地元負担240万円、計480万円で認可。
- 昭和31年(1956)2月25日着工、同年8月11日竣工。付帯工事も含め総工費573万円(うち地元負担333万円)。同年6月1日に「本宿水道組合」を解散し、「檜原村簡易水道 本宿水道部」として発足。
- 送水465m+配水773m=計1,238mを敷設。当時の給水対象は86世帯・936人。改修満5周年の記念として碑を建立。