
不忍池辯天堂「巳成金大祭」
9月の巳成金大祭は不忍池辯天堂の年一度のご開帳日。巳にちなむ金運招福の行事で、5:00〜17:00開堂。小判守や福財布の授与、参拝の流れを紹介。
?> 最終更新日: 更新日: 2024年9月14日 作成日:2024年9月14日
上野公園・不忍池の中央に建つ「不忍池辯天堂(べんてんどう)」は、音楽・芸能の守り神として知られる辯才天(辯財天)をお祀りする堂宇で、天台宗・東叡山寛永寺の諸堂に位置づけられます。
江戸初期の寛永年間、寛永寺の開山・天海僧正(慈眼大師)により建立。天海は「見立て」の思想で上野の山を設計し、天然の不忍池を琵琶湖に、もともと聖天が祀られていた小島を竹生島に見立て、水谷伊勢守勝隆公と相談して島を拡張のうえお堂を建立したと伝わります。
昭和20年の戦災で焼失後、現在のお堂は昭和33年(1958)に復興。さらに昭和41年(1966)に児玉希望画伯による龍の天井絵が奉納されました。現在も寛永寺の管理のもとで年中行事やご開帳が行われ、参詣者増加に伴い江戸期に島へ橋が架けられた歴史を受け継ぎ、今日の姿につながっています。
※開門時間は通常時。行事日は早朝開堂など特別体制となる場合があります。
ご本尊は八本の御手を持つ八臂辯才天(はっぴべんざいてん)。音楽・芸能・学芸の守護として広く信仰され、また「辯財天」とも記すことから金運上昇・開運招福のご利益でも知られます。
辯天堂では年に一度、9月の「巳成金(みなるかね)大祭」の日にご本尊のご開帳が行われます(通常は秘仏)。
不忍池の辯天さまは「谷中七福神」の一つ(辯財天)です。七福神信仰が江戸で盛んになった背景には天海僧正の尽力があったとされ、谷中七福神は江戸最古の七福神と伝わります。現在の七福神めぐりは、元日〜1月10日に行われるのが通例です。
出典:『江戸名所図会 7巻 [14] 第14-15冊: 巻5』 国立国会図書館デジタルコレクション( 該当ページ)
図会では、不忍池の中島に辯天堂が描かれています。本文の要旨は次のとおりです。
――と記されています。
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